名古屋文理67年の歩み
食・栄養・健康と共に
歩んできた歴史
名古屋文理の歴史は、名古屋市を本拠地とする渡辺製菓が、昭和16年にレベルの高い栄養に関する研究機関を設立するところから始まります。当時この製菓会社ではチューインガムなどのヒット商品を製造販売し、研究機関では食糧、薬品、繊維に至るまで幅広い委託研究を行いながら、国民の栄養不足を補うべく「航空食(現在のレトルト食品)」や「熱量食(栄養強化食品)」、さらに「エディック」「ハリバ」といった栄養剤を製造していました。特に肝油製剤の「ハリバ」は安価で身近なビタミンA、D剤として広く普及しました。
一方で、戦後の混乱を体験した役員の一人であった滝川一益(明治38年〜平成3年)は人生に最も必要な生き方と生きるための技術を教えることが重要であると考え、昭和31年に研究機関所在地の名古屋市西区に、名古屋栄養専門学院という栄養士の養成施設をスタートさせます。この専門学校が後年、短期大学・大学を併設し、今日の名古屋文理の三つの学校になるのです。
名古屋文理 68年の歩み
- 昭和16年10月
- 農林省財団食糧科学研究所創立
- 昭和31年5月
- 名古屋栄養専門学院開学
- 昭和32年4月
- 厚生大臣指定栄養士養成施設として認可
- 昭和41年4月
- 名古屋栄養短期大学開学、食物栄養科を設置
- 昭和48年4月
- 生活科学科を設置
- 昭和61年4月
- 情報処理学科を設置
- 昭和63年4月
- 名古屋文理短期大学に校名変更
- 平成2年4月
- 経営学科を設置
- 平成3年4月
- 専攻科食物専攻を設置
- 平成4年4月
- 専攻科経営専攻を設置
- 平成11年4月
- 名古屋文理大学開学、情報文化学部(情報文化学科・社会情報学科)を設置
- 平成15年4月
- 健康生活学部(健康栄養学科)を設置
- 平成17年4月
- 情報文化学部の2学科を統合・発展させ情報メディア学科に改編、健康生活学部にフードビジネス学科を開設、名古屋文理短期大学を名古屋文理大学短期大学部に校名変更し、食物栄養学科を2専攻(栄養士専攻・食生活専攻)に改組
- 平成21年4月
- 食物栄養学科食生活専攻を製菓専攻に変更
- 平成24年4月
- 情報メディア学部情報メディア学科を開設
- 平成27年9月
- 新校舎FLOS館完成